未知suu

日常に起こったこと、心が感じたことを記していきます。

あの人は、いま


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4年前の3.11。震災の日から今も、災害は続いている。終わることなく、形を変えて害は生み出され続けている。

私にとって大震災をリアルに感じたのは、震災後の3月16日。
地元の銭湯で出会った、被災地から命からがら実家のある東京に戻ってこられた女性との交流だった。

東京から福島に移住したその方は、震災直後、渦中の自分では見ることの出来ない、自分が置かれた状況をテレビで見てしまった。
そして、判断し実行した。
このまま被災地に留まる事によるリスクより、安全な実家のある東京に戻ろう、と。
幸いにも自動車のガソリンは満タンだったのだ。

しかし、彼女の二次災害はここから始まる。
道路という形が頼りなくあるだけ、両脇は大量の瓦礫と、もしかしたらその瓦礫の下にいたかもしれない被災者の見えない影。
そんな、何処に続いているか全く見えない地獄のような道を、後ろを一度も振り返らず、トイレ休憩も一切取らず、12時間、ハンドルを離さず、とにかくひた走り実家にたどり着いたそうだ。

私がその方に会ったのは、彼女が精神的に少し落ち着き、やっと外に出れるようになった頃。

下町の銭湯は、常連さんも一見さんも関係なく世間話で繋がれる、ゆるくてあたたかい場。
私も友人も、その方がまさかそんな体験をされていたなんて露知らず、いつもの通り話しかけた相手だった。

こんなところで自分一人、暖まっていていいのかな。

助けられる命があったかもしれない。

でも私は、生き残りたくて、車を降りることができず、ただただ走ってしまった。

胸痛く、取り返すことの出来ない現実に、ただただ自分は非力であることを見せつけられた一時だった。


私にとっての3.11は、震災日から5日後の今日。
毎年この時期になると私の心は重くなる。
何とも言えない悲しさ。
あの人はいまどうしているのか、知りたいようで現実を受け止められる程の器が自分にあるのか、そんなことを考えるちっぽけな自分。
純粋に平和に過ごしていてほしいと願う心が交錯する。

いつか何処かで会うことができたら、なんて声をかけよう。

銭湯、行きませんか?