未知suu

日常に起こったこと、心が感じたことを記していきます。

科学と映画

http://wired.jp/2015/03/01/interstellar-real/



あらゆる点で映画の概念を覆した作品であると私は思う。

映画=フィクション

という概念は終わりを告げる。
最近の映画は、現実が11次元の夢の中であることを立証する、言わば科学観点からのアプローチでストーリーが構成されている。

マトリックス」は、脳科学と繋げて現実がバーチャルであることを客観的に映像化してくれた。

人間の知性は、真実を理解したい、その欲求の塊なのかも…

自分の考える範囲のちっぽけさから、その範囲を超えたときに出会う未知の領域に萌える…


人間の問題は二つ。

「人間の問題は二つしかない。

心の問題か、人間関係の問題か。」

 

衝撃だった。

たくさんのあんなことやこんなことの問題が、シンプルに二つに集約されてしまったことに。

そして、その二つの問題すら、超シンプルな問題一つに集約されてしまうことに。

 

日々、何と格闘しているのか。


仕事?その仕事はどこから派生したのか?

人間関係?その関係性はどうやって結ばれたのか?

お金?あってもなくてもどうしてこんなにとらわれるのか?


究極言えば、目の前のそれらが、果たして本当に実在するものなのか。

 次の瞬間、違うことを考えだし、条件が変われば自分の意見なんてあるのかないのかワカラナクなる、そんな曖昧でアヤフヤな自我。

もし、いま自分の目が犬の目と脳になったら、それらは一瞬で問題ではなくなるだろう。


じゃあ、人間、犬、あらゆる存在の目と脳を離れて、いま見ているものを見てみたなら、

いままでと同じように、格闘な日々を過ごすだろうか。


幽体離脱でも、スピリチュアルでもなく。

立体コンピューターを立ち上げる主体とは、そういうことだろう。

自分で立ち上げている立体コンピューターの一画面に責任をとっていくこと。 

観点が生まれた瞬間、人間機能をフル活動させないと勿体ない! 

一人一宇宙時代。 

 

 

human nature


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human nature
人間性、不完全な人間

といった意味を持つ。
私はマイケルを崇拝している訳ではないが、彼の歌詞は好きだ。
リアルな人間への、そこはかとない愛を感じるからだ。

そんな人間が作ってきた社会、大きく人類500万年の歴史を振り替えると、技術の進歩により社会も個人の生き方も大分様変わりした。
私達の大先祖様が現代社会をみたら、腰抜かすどころの騒ぎじゃない。

じゃあ、何の問題もなく一人ひとりが生きられているか、と言えば、そういう訳でもないんだ。
人間関係、コミュ障、心の病、雇用問題、外交問題歴史認識、経済問題、貧富の格差、身分の格差…ネット開けばすぐに入ってくる。

500万年前より、問題は大きく膨れ上がっているように見えるのは、気のせい…?


日立から、幸福度を計るグッズが販売されるそうだ。

それって、私達、なかなか幸せも感じられないくらい、鈍ちんってことじゃないか。

そりゃそうだ。こんな問題だらけの海で泳いでたら、いかに生き抜くか、しか考えられなくなる。

しかも、そんな不完全な人間より、精密正確、低コスト、文句も言わないロボットが一気に台頭しだした。
人間に替わってどんな仕事もこなし、家族にもなるし、夜のお供にもなってくれる。


もう、人間要らなくない?

って世界が、確実にやってきた。


人間にしかできない仕事を。

問題を生み続けない原因の解明を。


って、思うのは当然の流れ。

human nature.
不完全を補いあえる関係性を熱望。

正しい道

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明治神宮の境内にある、今月の和歌。
明治天皇、皇后両陛下の歌は、お二人の陰陽パートナーシップをそのまま感じられる、素敵な歌だ。
掲示は毎月替わるので、神宮の四季折々の風景と共に詫び錆びを感じられる、私の密かな和心スポットだ。

友人との会話で、皇后様の歌のような境遇の友人に出会った。
認識の変化は、自分の考えの走る道を観察することから始まる。
そんな変化の道を歩いていると、ふと、この道は合っているのか、もっと効率の良い方法はないか、等々、不安感に陥る時がある。


そこに舞い降りた皇后の歌。


5感覚脳の残像現象から作られ、絶え間なく浮かんでくる考えに惑わされず、心が決めて歩む道に、確信と自信を携えたいと思った。

未知という名の


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小さい頃、風になりたいと思った。

自由に、どこまでも広がっていたい。
とらわれない、とどまらない。

そんな生き方がしたいと願った。

成長するうちに、それは不可能と知った。

親から、学校から、社会から、規定をたくさんもらい、あきらめの蓄積しかなかった。


大人になって、それは可能と知った。

環境や能力を変えることではなく、
自らの観点から自由になり、認識が変わることで何にでもなれることを知った。


あきらめから未知へ。
世界を、風のように駆け巡る。